今日は特別支援教育のキーワード、「インクルーシブ教育」と「合理的配慮」について考えます。
・インクルーシブ教育
・合理的配慮
ポイントは「ただの場の共有がインクルーシブではない!」ということです。
通常の学級に障害のある子を入れてお客さんとして通常の学校の卒業証書はもらったけれど、何も学ばなかった、何も教育的なことを受けていない…という子は実際たくさんいるわけです。
しつこいようですが、「ただ場を共有するだけがインクルーシブではない!」んです。では、ただの場の共有ではなく共に学びきちんと教育を受けていくためには何をしたらいいのでしょうか。それは子どもの学びへの必要なニーズに的確に応えていくことです。
子どもの教育を受ける権利をきちんと支える大前提になる「合理的配慮」についてもう少し詳しく書きたいと思います。
合理的配慮の定義ですがこれは「障害のある子どもが他の子どもと平等に教育を受ける権利を共有、行使すること、確保すること」です。つまり、子どもの教育を受ける権利をきちんと支えていかなければならないということが大前提なのです。
それに合わせて学校の設置者及び学校が必要かつ適当な変更調整を行うことが合理的配慮なのです。ただしそれは過度な負担を課さないことが条件です。
ただ一緒に過ごせばいいというのではなくきちんとした教育を受けるために特別なニーズのある子どもにはそのニーズに合った支援をしていくということが非常に重要なポイントになります。
例えば、保護者からの「うちの子への合理的配慮はなんですか?」という問いにアセスメントに基づいた(経験や勘からではない)支援方法、誰もが納得できる回答が用意されていなければならない時代だと思っています。
今の学校教育の問題点は、この個別の教育支援計画を立てる段階で保護者との話し合いがなされずに、学校主体で計画を立ててそれを保護者に見ていただいて了承してもらう・・という流れになってしまっていることだと思います。
コピーを持ち帰らせて「何かもしこの教育支援計画に異議があれば赤色で修正して持たせてください」というやり方は個人的には不十分であると思っています。
学校任せでかまわなければこの方法でいいと思いますが、学校は所詮人生の限られた期間だけをお預かりするに過ぎません。
これまで育てて来られたご苦労やエピソード、卒業後の生活のイメージなどを最初にしっかりお話できる機会があれば、子ども自身の人生の長いスパンを視野に入れた日々の関わりが可能になるのになと思います。