対人恐怖心性 anthropophobic tendency について
対人恐怖症のことは、耳にしたことがありますか?これは、神経症の一種で、青年期に好発するこころの病です。
「これが対人恐怖症だ!」という、ひとつだけの症状はなくて、いろいろな症状の集合体と考えた方がいいでしょう。
「対人恐怖」ってご存知ですか?
例えば、対人恐怖。これは人前で緊張することが、気になって気になって、何もできなくなるといったものです。人前で緊張するのは誰でもあることです。だからといって、会社をさぼるとか、学校に行かないというところまでは、通常行きません。なんとか自分のこころと折り合いをつけながら、日々、社会生活を送ります。
しかし、対人恐怖症の患者さんは、この通常の社会生活が、人前で緊張するということでひっかかって、出来なくなるのです。似たようなものに、赤面恐怖、視線恐怖、醜貌恐怖、自己臭恐怖などがあります。
このような、人の目を気にするといった状態は、神経症の患者さんのみならず、青年期には、一般的に広くみられます。これを対人恐怖心性と呼びます。(永井徹 1994)
このこころを、さらに詳しく見ていくと、
(1)対人行動における自分自身の行動・態度・話し方・ふるまいにおける支障(対人状況における行動・態度)、
(2)他者からどのように見られているかという問題意識(関係的自己意識)、
(3)自分自身に対する自信のなさ(内省的自己意識)
の3つが下位特性として想定されます。
岡田努・永井徹(1990)の研究によると、中学生と大学生は、自己評価と対人恐怖心性との間に負の相関が見られたが、高校生段階においては高い相関は見られなかった とのことです。
つまり、大学生と中学生は、自分に自信がある人は、対人恐怖心性は低く、自信がない人が、対人恐怖心性を高く有するということです。
でも高校生は、自分に自信があろうとなかろうと、人の目は気になったりならなかったり・・・といったところでしょうか。高校生の時期は、他人から評価した自分というよりは、「自分で自分自身を見つめる」といったとらえ方をが中心に、行っているためと考えられています。
「ふれあい恐怖」ってご存知ですか?
見かけは、全く問題なしなのに、実は、対人困難をかかえているといった一群が、山田和夫(1987)によって明らかにされました。彼らは、人間関係の浅い、表面的な関わりはOKなのに、いざ、かかわりが深まると、苦痛を感じ避けようとします。これらを「ふれあい恐怖」といいます。
一緒に食事・・・・に苦痛を感じる人たち
特に、一緒に食事をするのが怖い(会食恐怖)といった症状が多いです。今までの対人恐怖は「赤の他人」から「知り合い」に移行する出会いの場面を苦手とするのに対して、ふれあい恐怖は対人関係がより深まろうとする「ふれあい場面」に困難を感じます。
一見明るく、華やかな大学生活をエンジョイしているように見える多くの大学生のなかに、実は、多くのふれあい恐怖傾向がみられる若者が存在しているという報告もあります。
メールは便利でほどよい距離感
めんどうな人間関係をうっとうしいと感じたり、情緒的な葛藤から退却したい、じっくりつきあう自信もない・・・といたところでしょうか。
若者の携帯メールの大ブレークは、あっさりと、距離をおきながら、つかず離れずで付き合いたい彼らのニーズにマッチしたのでしょう。